哲学を学ぶ高校教師、みそ汁大臣の日誌

高校公民科の教師です。みそ汁大臣とは呼ばれていないです。

哲学~近代哲学①~まずは中世哲学

これから高校生が学ぶ「哲学」な分野全般を整理していきたいと考えていますが、まず整理したいのは「近代哲学」です。

 

理由は、今の社会制度のあり方との関わりが深く、高校生に知っておいて欲しいなという思いが強いからです。もちろん、それ以前の哲学史もきちんと知ってほしいところですが、先ずはということです。

 

また「近代哲学」は、主に哲学を扱う倫理での扱いだけでなく政治経済における民主主義や資本主義の考え方、現代文でも評論文のテーマとして多く登場し、「近代哲学」の理解を深めることが様々な学びの場で助けになるはずです。

 

あともうひとつの本音は、私自身の理解がまだまだ甘く、整理しきれていないという点…

 

本を読んだりしていてとても楽しい範囲なのですが、多様な考え方が煩雑なまま楽しむままになってしまっているのが現状です…。

 

常々、早くに勉強する機会をつくりたいと考えておりました。

 

そんなわけで、整理をしていきます。

 

【近代哲学と中世哲学の問い】

先ずは「中世哲学」との比較から「近代哲学」を整理します。

 

哲学はまず問うことが重要なわけですが…

 

「近代哲学」で核となる問いは

「人間は何を知りうるか?」というものです。

 

とても哲学的でかっこいい響きのです。

 

そして、もう一方「中世哲学」で核となる問いは

「神とは何か?」というもの。

 

結局どちらもかっこいいのですが…

問いの中心が、神から人間に変わったという点が重要です。

 

【中世哲学とは】

「中世哲学」は、アウグスティヌス(5C)やトマス=アクィナス(13C)らキリスト教聖職者が、キリスト教の正統教義を確立すべく、プラトン(前4C)やアリストテレス(前4C)ら「古代ギリシャ哲学」との統合・調和を目指したものです。そのためキリスト教をより合理的に説明していくための「神とは何か?」を問うことが哲学の中心です。

 

しかし、「中世哲学」を背景にキリスト教の正統として絶大な権力をもったカトリック教会は、十字軍の東方遠征以降、影響力を徐々に弱めていきます。その要因は、交易が盛んになるなかでの都市の経済的発展や異文化交流の増加、イスラーム文化圏からの「古代ギリシャ哲学」の逆輸入などです。カトリック教会は、アリストテレスなどキリスト教にとって都合の悪い思想が含まれる本を禁書にするなど思想を制限してきましたが、次第に教会では統制仕切れなくなってしまいます。

 

そんなわけで、社会の変化とともに問いの中心は神から人間へと

「中世哲学」から「近代哲学」へと移行していきます。

 

ただ、日付変更線みたいに「ここから変わった!」みたいに急に変わるものではありません。そしてこの「中世哲学」から「近代哲学」への過渡期となる、14C頃より始まるのが「ルネサンス」です。

 

日本人にも馴染みのある響きですね。

ルネッサ~ンスっていう少し懐かしいやつです。

 

というわけで次回は「近代哲学」に向かう「ルネサンス」を整理していきます。